Document参考資料

2022.09.13

講演会

肥田舜太郎先生の遺志を継承する

皆さん、こんにちは、残念ながら肥田先生は、平成29年3月20日に100歳で天寿を全うされました。先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。私の父親は、広島陸軍病院で被爆したのが1945年8月6日8時15分です。陸軍病院で看護婦を集めて朝礼をしている時に被爆しました。陸軍病院というのは、コンクリートでできていて、かなり頑丈な建物で、その時は助かったのですが、生涯にわたって後遺症で悩まされていました。被爆した後、肥田舜太郎先生と同じように戸坂に行き、肥田舜太郎先生と共に救援活動をしていたということが、肥田舜太郎先生の書かれた本や父親の日記からわかりました。私も10年ぐらい前までは、恥ずかしながら原爆には無関心でした。父親が亡くなってから、どういうふうにして広島で原爆に遭ったのか詳しく聞いておけばよかったと残念に思いました。そして、当時の資料を集めるためにいろいろ走り回りました。そして、莫大な資料を読ませてもらって、父親が、どの病棟のどの部屋にいたかということまでわかりました。

 

肥田先生のことをお話すると、先生は、広島で被爆して以来、放射線の急性障害による凄惨な死と晩発性障害による沈痛な苦しみを数え切れないほど目の当たりにしてこられました。その実相を伝え、すべての核兵器廃絶と原発を取り除く必要を訴えるために国内に留まることなく世界37ヶ国147市町村を訪れました。ご講演は、海外だけでも250回に及んでおられます。私は、そういう先生の遺志を継いでいきたいと思っています。8月6日広島に原爆が投下されましたが、皆さんも知っておられるとおり、残念ながらデータがほとんど残っていません。それは、当時プレスコードがあり、7年間は、医者が原爆について研究し、論文を発表することが禁止されていました。そのため詳しいデータは、残っていません。

 

広島、長崎における爆心地からの距離と被曝線量

線 量 の 爆 心 地 か ら の 距 離 依 存 性
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広島        長崎
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爆心地    165Gy       350Gy
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爆心地から  4.5Gy       8.7Gy
1km
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Gy(グレイ): 放射線があたった物質や人体への被曝線量
Sv(シーベルト)=Q x Gy(グレイ) 10 Sv 以上の被曝はほとんど即死

これは、爆心地からの距離と被曝線量です。広島では、爆心地で165Gy、長崎で350Gyと推定されます。1キロ離れたところでは、広島が4.5Gy、長崎が8.7Gyです。広島の方が、はるかに数が少ないのですが、1945年9月中旬に枕崎台風が来て、汚染されていたものが、流されてしまったので、この数値では、過少評価されているものと思います。

 

 

これは、放射線は、人体にどのような医学的影響を与えるのかを述べました。初期の段階でどういうことが起るかです。肥田先生が、きのこ雲の下で、人間がどのようにして殺されたのかを知っている人は少ないと言っておられました。急性症状として2Gy以下であれば、食欲不振、吐き気、下痢等の症状が現れ、10Gy以下では生き延びる時間は数日から数週間ですが血液関係の死因が多い。血液を製造する骨髄は放射能の影響にとても敏感です。骨髄では、赤血球や白血球、血小板をつくりますから、その系統がまずやられます。血小板がやられると血を固めることができなくなり、斑点が出るのもこれが原因です。赤血球は、2~3ヶ月の寿命があり、貧血が長引きます。10~50Gyの間では、消化器系の不全が起きます。腸管膜などの粘膜がやられ、腸からの吸収ができなくなり、亡くなられます。50Gy以上になると脳がやられてしまい、即死か数日以内の死亡ということになります。これらは、動物実験で詳しいことがわかっています。

 

 

これは、長い目で見て、晩発性の放射線障害が、どのように現れているかというものです。血液の癌の白血病と固形癌の2つに分けられます。白血病が3~4年後に現れ始め6~7年後がピークだったといわれています。20年ぐらいかけて徐々に低下していきました。その他の癌は、7年から10年後に現れています。甲状腺などは、もう少し早いようです。これらのデータは、外部被曝を主としたもので、内部被曝もあると考えてのデータではないと思います。

 

 

これは、皆さん、病院に行って胸のレントゲンを撮りますが、胸の胸部X線集団検診の時の線量が0.05mSvです。国は、100mSv以下なら安全という基準にしています。CTなどは、かなり被曝量が多く10mSvで量的にはかなり大きいと思います。ただ、この表は、外部被曝を元にしてつくってあります。100mSv以下なら安全だといわれています。自然放射線は、1年間で2.4mSvで、これは避けることができないと書いてあります。外部被曝も人工的なものと自然のものがありますが、自然のものは別だと思います。自然の放射線とは、生物が陸に上がった時から闘ってきたもので、最初のうちは多くの生物は死んでいたのだと思いますが、生物は長い年月を経て進化をつづけそれにだんだん抵抗が出来る免疫をつくってきました。今問題になっている原発の放射線と飛行機に乗っていて空から受ける放射線は、全く別種類のものだと思います。

 

 

これは、外部被曝と内部被曝です。日本では、内部被曝を認めようとしてはいません。外部被曝というのは、原爆がピカッと光った時にガンマ線や中性子が撒き散らされ、それに当たったものです。それらの粒子が水の中に落ちたり、煤などになって人間の中に吸い込まれ、体の中に入るのが内部被曝です。肥田先生は、しきりにこの内部被曝の脅威を訴えておられました。チェルノブイリもフクシマも大半は内部被曝です。原発の近くに行くわけではないので、内部被曝が一番恐いと思います。広島に落とされたのはウラン型で長崎に落とされたのはプルトニウム型ですが、ウランの粒子の大きさは、60億分の1mmです。想像がつきませんが、地球の直径が約1万3000kmですが、それを1mmと換算すると、わずか2mmぐらいのものが、粒子です。そういうものが爆発したとたんに空気の中に混ざって体の中に入り込むわけですから、小さ過ぎて入ったかどうかもわかりません。今までの医者は、細胞レベルでしか考えていないのですが、分子レベルで考えなければいけない状態になっています。

 

 

これは、長崎大学の七條先生が、長崎で被曝された患者さんの腎臓の細胞からアルファ線が放出されている様子を特殊な撮影で捉えられたものです。これが、2005年ですから、被曝されて約60年過ぎた時期でも放射線を発しているという決定的な証拠です。これが、内部被曝で悪さをしているのです。

 

肥田先生が、いつも内部被曝と言っておられますが、「内部被曝の脅威」という本があります。その中の一説で、兵隊が、「わしゃ、ピカにおうとらんのじゃ。あの日の昼から、中隊長の命令で広島に入り、怪我人を助けて運んだり、死体を運んだりした。二晩寝て、三日目に気分が悪うなり、ここに運ばれてきた。なして、わしの毛は、抜けるんじゃ。ピカにあっておらんのに。」という文章があります。当時、肥田先生も医者であっても何が起っているのかは、わかりませんでしたが、今考えたら、これは、明かな内部被曝の症状です。肥田先生が、内部被曝についてわかり出したのは、30年後のことで、その時、日本で初めて、内部被曝の実態をつかまれました。
内部被曝については、いろいろあるのですが、1954年3月にビキニの水爆実験がありました。この実験で第5福竜丸だけが取り上げられていますが、数百隻の日本の漁船がいたのです。しかし、皆さん、発言しないで黙っておられます。実験にでくわしたわけではないけれど、何十キロも離れたところで死の灰を被ったわけです。この時の船長だった久保山愛吉さんが亡くなられました。これは、死の灰を被った内部被曝です。

日本の医学会は、放射線被曝の長期的な影響を無視してきました。広島、長崎に原爆が落ちて、すぐに米国の軍隊が占領し、米国の軍事機密だとして原爆の影響について、研究したり、論文を書いたり、学会で議論することを禁じました。核の実態の機密を守るために、我が国の被爆の実態は軍事機密としておかなければならない事態が続きました。1945年から7年間は、原爆の患者を医者が公に診察したり、研究してそれを論文に書いたりすることは、一切禁止されました。7年間、肥田先生は、何もできなくて悔しかったと思います。

肥田舜太郎先生は、1975年に核実験の中止を国連に要請するために、第1回目の国民代表団として、渡米されました。その時に会ったアーネスト・スターングラスに低線量内部被曝について教えてもらい、初めて内部被曝について知ることができました。肥田先生は、1989年にもアメリカに行き米国の医者のゴールドマンに出会いました。僕が小さい頃に見た記録映画で、核実験のきのこ雲が上がっているところに兵隊が装備して突っ込んでいく写真がありました。向こうでは、慢性疲労症候群と言いますが、実際にぶらぶら病と関係あるのかどうかわかりませんが、今現在でも慢性疲労症候群というのは、存在します。この時、肥田先生は、始めて慢性疲労症候群と原爆ぶらぶら病が、同じ症状であるということがわかりました。同じようなことがチェルノブイリ原発事故の後にも起きました。周辺地区でぶらぶら病のように、身体がだるい症状が出て、ロシアでは、「放射能疲れ」と言います。

 

 

このグラフは、東北大学の先生が、死亡統計を集めてそれを解析したものです。1965年発表のもので古いのですが、広島、長崎の原爆投下以降、様々な癌が、日本全体で発生しています。画面左側赤線で書いてあるのが、すい臓癌です。1940年から1945年までは、横ばいだったのがだんだん上昇しています。1960年には、12倍に上がっています。前立腺癌も戦前に比べると9倍も上がっています。右側は女性ですが、同じように肺癌、すい臓癌が著明に上昇しています。これが、広島の原爆の影響であるとは言えませんが、核実験を世界各国がやっていたので、その影響があるのかもしれません。

 

 

これは、1986年、チェルノブイ原発事故による放射能の拡散です。地図上の色が濃いくなればなるほど汚染濃度が高いのです。西はスペイン、上はノルウエーまで全部が汚染されています。チェルノブイリ付近は、色が濃く特に汚染度が高いです。

 

 

チェルノブイリで死んだ人がたくさんおられるのですが、遺体から検出されたセシウムの量で、特に子どもの甲状腺の数値が高いです。甲状腺では、ヨウ素が悪さしているようですが、セシウムの検出量も多いです。セシウムが、心臓の心筋にも貯留して、ジストロフィーといって筋肉が萎縮してしまい収縮も拡張もできなくなります。不整脈が生じて、突然死することが多いと書いてありました。

 

 

 

これは、3~7歳のゴメリの子どもたちの心電図です。11~26bqでは、異常が少ないのですが、だんだん濃度が濃くなるにつれて、病気の率が高くなっています。どういうことが起るかというと、心臓が動くためには刺激が起り、それが下に伝わっていくのですが、その伝わり方が障害されて脚ブロックになることが多いのです。

 

 

これは、セシウムで甲状腺と関係しています。甲状腺癌は、4年後から増加しています。高濃度汚染地区のベラルーシでは、1998年における2歳から18歳の甲状腺癌の発生率が1973年度の58倍になっています。甲状腺に結節があるとかのう胞があるということが、最近、よく問題になっていますが、病理学的に見たら、将来、癌の発生が起り得る可能性があるわけで、まったく無害なものではないと考えられます。これは、別のデータですが、いずれにしても1986年をさかいにして、甲状腺癌の発生率が上がっています。

 

 

これは、ドイツのバイエルン州、この州はチェルノブイリから1500キロ離れているのですが、チェルノブイリの事故の結果、先天性の心臓欠陥が増大し、その増加率は放射能の濃度が高くなればなるほど心臓に欠陥を持った子どもが生まれる率が高くなっています。明らかに1987年ぐらいから急上昇しています。上に行くほど濃度が高く汚染されているところですが、障害児が多く生まれてきています。

 

1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故により、ベラルーシ共和国のゴメリ州は、高濃度の放射性元素で広く汚染されました。当時、ゴメリ医科大学の学長バンダジェフスキー教授は、放射線被曝の研究に取り組みました。それまでは、食物を通じて人体に取り込まれた放射性元素による内部被曝の影響を分析した研究は、ほとんどありませんでした。バンダジェフスキー教授は、病理学者であったのでゴメリ医科大学病院で亡くなった多数の患者を解剖し、心臓、腎臓、肝臓等に蓄積したセシウム137の量と各臓器の細胞組織の変化との関係を調べました。結果的に体内のセシウム137による被曝は低線量でも危険であると結論に達しました。

 

 

これは、フクシマとチェルノブイリの汚染地域を比較したものですが、右側が、チェルノブイリの事故でピンクがかかった濃いところほど汚染濃度がきついです。半径300キロ以内が入っています。左が日本の福島です。日本は、海に囲まれていますが、汚染された地域は広がっています。

 

 

国民の1年間の被曝量が1ミリシーベルトに達しないようにしなければならないというのが、日本で決められた数字ですが、年間1ミリシーベルトというのは、毎時0.114マイクロシーベルトに当たります。これは、福島の地図ですが、毎時0.114マイクロシーベルトを超えています。法律を厳密に適用すれば、国民の1年間の被曝量が1ミリシーベルトに達しないように基準をさだめなくてはなりません。

 

 

これは、心不全になった人の統計です。気苦労でも、心筋が障害しても心不全になりますが、福島は、全国平均よりもはるかに上にいっています。特に2011年以降は、急激に上がっています。気疲れが原因といわれていますが、それだけではないと思っています。

 

これは、福島の子どもたちと日本の成人の平均の結節の保有率ですが、小児の方が多いです。これは、悪性へと移行する可能性があるのでよく診ていかないといけません。

 

 

 

 

 

 

 

これは、お元気で活躍しておられた肥田舜太郎先生の数年前のお写真です。いつも原爆慰霊碑の前に来られて、祈っておられました。講演を頻繁に行っておられまして、精力的に活動される先生でした。肥田先生の書かれた本はたくさんあります。ここに書き出しました。翻訳もたくさんあります。皆さん、あちこちして、目的を見失いがちですが、誰が正しいことを言っているのかは、個人でいい本を読んで、判断するしかないと思います。先生が、本の中で、「使命感というものは、良心によって導かれます。その良心は、価値観から芽生えます。そして、価値観は、その人が、真理と認めたものから結集されます。」と言われています。先生が、この使命感を持って伝えたかったことは、「米国は、原爆による人体への影響を軍事機密と称して隠蔽してきた結果、被爆者は、たとえ親、兄弟であっても苦しみを語ることを禁じられ、医師が診断記録を残すことも、原因を究明することも許されませんでした。そのため、内部被曝の危険性については、日本政府や専門家はもちろん一般国民には、ほとんど知られずに来ました。また知っている一部の専門化や医療関係者も政府の方針に追随し、真実を国民に明かすことなく、危険はない、安全であると宣伝して来ました。ということでした。誰が、本当に正しいことを言っているかというのは、いい本をたくさん読んで、選別するしか方法はないと思います。

 

内科医 工藤 恵康